2013年07月10日

母と私の第2章

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母が、自宅の廊下で転倒し、腰椎圧迫骨折で病院に運び込まれてから、
約2カ月が経ちました。

別に公表するようなお話でもないのですが、この度転院をすませ、
ちょっと一息ついたところで、日記代わりに記させていただきます。
長くなるかも・・・(笑)

90歳過ぎた年寄りが、また歩けるようになるのか?!

でも、その前に、別の心配が襲ってきました。

入院3週間を過ぎたころから、急激に認知症の初期症状が表れ始めたのです。
自分でもわかるらしく「だんだん私はボケてきちゃった、色々な事がわからない」
と不安がります。
毎朝、「必ず来て!早く来て!」と、看護師さんに頼んで催促の電話。
(こんなこと、今までの母からは考えられません!)
食事も「まずい、まずい」と言って食べなくなりました。
カテーテルを外しても、残尿の影響で、時々急に体調が悪くなります。

一番驚いたことは、平仮名までも書けなくなったことです。
2〜3年前まで書道教授をしていたのに! 
これには母自身もショックを受けていました。


転院を考え、リハビリ病院と、老人介護福祉施設と、両方の見学巡り。
この際、多くの方々のご助言や手助けを受け、本当に本当に感謝しています。

色々見学してみて、感じたことが1つあります。
当たり前のことですが、結局、自分の目で見て判断するしかないと云う事。
それぞれ、患者の性格も健康状態も、目指すゴールも違うのですから、
行きつくところは、母のことを一番知っている私が、決めるしかないのです。
それだって、正解はわかりません。
ベッド数が限られているから、縁があるかないか、ということもあります。
そして最終的には、本人と病院(施設)との相性です。

また、整形外科の転院受け入れは、病院の経営的理由から、あまり積極的ではないようです。
これだけ高齢者の骨折が増えている中、その受け入れ態勢は実態に追い付いていないのが、
現状のようです。


急に、個室が空いたからと連絡を頂けたことはラッキーでした。
そして転院したのが、新横浜リハビリテーション病院です。(上の写真は運動広場)

約5年前にできた新しい病院で、開放的な雰囲気。
スタッフの皆さんは若く、とても親切です。
主治医の先生も、「もう一度カテーテルを外す努力をしてみましょう」
と、おっしゃってくださいました。

驚いたことに、転院してから、母の表情が全然違ってきました。
穏やかで、にこやかな表情をしています。
リハビリの時も、体操やゲームをしているときも、楽しそうです。
「玄関前の4段の階段を、私は自分の足で絶対上ってみせる」と言っています。
リハビリに励む母の姿は、けっこう感動モノです。

そして、
ナント、字が書けるようになってきたのです。
七夕の短冊にも、「歩けるようにがんばります 和子」と、筆ペンで書いていました。


最近、人生の諸先輩から、私は色々アドバイスを受けました。
「仕事は続けなさいね。なんとかなるものよ。」
「自分の人生も大切に」
「加齢による忘却は幸せなことなの。受け入れてあげなさい」
「介護は貴方の人生を深くしますよ」
こんな言葉を、今あらためてかみしめています。

誰もが通ってきた、あるいはこれから通る道ですものね。

退院後の自宅のリフォームや、ヘルパーさんの問題など、これからもまだまだ
色々あると思いますが、
「必ず、良い方向に向かっていく」と、今は漠然と信じています。

お読みになった方、長文拙文におつき合いいただき、ありがとうございました。


rihabiri03.jpg

前の病院で、入院中のおばあさまに教わった折り紙です。
正方形にカレンダー等を切り、三角形に折ったものを重ねて、
組み合わせるのです。
可愛いでしょ?!


posted by ピロコ at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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