2013年03月12日

2年目の3月11日に

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今日の朝日新聞朝刊に、上記の記事『島を救った津波叙事詩』があった。

22万人の死者・行方不明者・・・
2004年に起こったスマトラ沖地震に伴う大津波の時、
犠牲者はたった1人だった小島が、インドネシアのシムル島である。

島民を救ったのは、津波の教訓を盛り込んで歌い継がれた叙事詩だという。

独唱と合唱が交互に繰り返され、延々と続く、伝統的な4行詩。

歌詞の中に、東日本大震災のことも、29番目に加わった。

  住むところがない
  寝場所を探す
  アチェで2004年
  日本で2011年



子守歌や昔話、叙事詩といった形で教訓を残し、それが人々の日常に
浸透し、親しまれていることがいかに大切なことか。
印象深い記事である。


そして、私のできることは、そうやって残ったものを、語ることによって紡ぎ、
リレーのバトンを渡す。
そんなことではないだろうか・・・・?
私は私のやり方で・・・。


重松 清さんの著書『希望の地図』より。

 「被災地」とはいったいどういう土地を言うんだろうな。
2011年3月11日という日付は、いまの時点で振り返ると、すでに過去だ。
ならば「被災地」とは、「過去に震災で甚大な被害を受けた土地」という意味で
いいのだろうか?
(中略)

今日も「被災」している。明日も、このままだときっと「被災」しているだろう。
あさっても、悔しいけれど、おそらく・・・・・。
人々の悲しみや苦しみは、あの日からずっと、途切れることなくつづいている。
「被災」とは、過去の出来事を語る言葉ではなく、いまの状態を示す言葉なのだ。

だからこそ、あらためて思う。
僕はこれからも、機会さえ与えられれば、「被災地」のレポートをつづけるだろう。
2012年の「被災」の様子を伝えることで、まだ終わってないんだぞ、
東日本大震災を歴史年表の一項目に収めるのはまだ早いんだぞ、
と訴えつづけるだろう。


*重松清さんは、フリーライター「田村 章」としても、ルポルタージュなどの
執筆活動を行っていらっしゃいます。 





posted by ピロコ at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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